2014年01月31日
自分の中の傷つき易さを啓(ひら)くということ
皆さんには、どうしても苦手なもの(人)、嫌なもの(人)ってありますか。
私は子ども頃(わりと大人になっても)、自分の姿が映るものがとにかく嫌で嫌で
しかたありませんでした。
鏡はもちろん、写真に写るのも大、大、大嫌い でした。
鏡やショウウィンドーに映る自分を目の端に感じるのも嫌で、
その前を通るときは顔のわきに手を当てて、
自分の姿がいっさい視界に入らないようにするほど。
それについてISISでソーシングしたことがあったんですね。
すると幼い頃、母と買い物に行った時のことが思い出されて...
ふとショーウィンドーに映った自分を見て大ショックを受けた自分を感じたわけです。
幼い頃は、たいへん夢見がちなところがあって、
おとぎ話が好きで、絵本の挿絵にある妖精に憧れていました。
よく描かれていた妖精は髪の毛が長く巻き毛で、背中に羽があったりなんかして、
花びらみたいな素敵な服に身を包み西洋人ぽくて
きゃわい~。
でもショーウィンドーに映る自分はまったくそうじゃないんです。
髪の毛は真っ黒でおかっぱ、着ているのは真っ黒いワンピース、
西洋人には似ても似つかない顔、
ゲッ!! かわいくないっ
と思ったわけですよ。
それからです、自分の姿が映る鏡や窓、カメラを拒否するようになったのは。
子どもの頃の写真はほんとうに嫌そうな顔をして写っている写真ばかりです。
学校でおこなわれるアルバム撮影なんて嫌で嫌でたまりませんでした。
休んで隅っこに顔だけ写るのはもっと嫌だったので、
休むことはありませんでしたが。
極度の人見知りで引っ込み思案でもあったので、
そういう私を見かねた母は、私をバレエ教室に通わせました。
バレエ教室って壁一面、鏡張りなんです。
私には荒行でしたがその甲斐あって、
鏡の前を通るときに顔を覆うことはしなくなりました。
それでも、なるだけ写らないように写らないようにしていました。
やがて成長し大人になっても、うわべでは平気なフリをするのですが
写真やビデオに写るのは内心とても抵抗がありました。
ISISでその出来事を見ていくことで
その時の自分の感情を掘り下げて
掘り下げて
その背後には何があるのかということを突き詰めていくと、
「自分はフィオナ姫だと思っていたのに、シュレックだった」(笑)
という風に幼い私はそう感じてしまい、ショックを受けた..というわけです。
大人になった今は、そうショックを受けることでもないと理解できるのですが、
幼い子どもというのは論理的に物事を捉えることができないので、
たとえ些細なことであっても、心に大きな轍を残してしまうことがあります。
そのサムスカラの影響を受けて、きゃわいくない自分を観たくない!!
とリアクションしているだけなんだなと気づきました。
サムスカラを知れば、それで物事が解決するかというとそういうわけでもなく、
写真に写る状況になった時、サムスカラの影響ということはわかっていても
「写りたくないなぁ、もっと美人だったらいいのに」という気持ちに当然なります。
①その時に自分を閉じてしまい、写真に写らない方を選ぶか、
②写真に写った自分にまたがっかりするかもしれないけど、
自分自身に対しオープンでいることを選ぶか
今の私は②を選んで、写真やビデオに写ります。
enlightened vulnerability(エンライトゥンドゥ バーナビリティー)という言葉があります。直訳すると「悟りを開いた脆弱さ」、「目ざめた脆さ」とでも言うのでしょうか。
それは自分の脆い部分、かんたんに傷ついてしまう部分であっても
それと向き合い「自分を啓(ひら)いていく」ということ。
何度もそれを繰り返すことで、写真に写るのが平気になって
もしかすると好きになる日が来るかもしれません。
enlightened vulnerability
弱くて、モロくて、傷つきやすい中にも、とても気高いものを感じます。
今年も31日経過
2月1日・2日瞑想ワークショップin沖縄あります
竹内さんのスペースクリアリングへの申込はこちら
私は子ども頃(わりと大人になっても)、自分の姿が映るものがとにかく嫌で嫌で
しかたありませんでした。
鏡はもちろん、写真に写るのも大、大、大嫌い でした。
鏡やショウウィンドーに映る自分を目の端に感じるのも嫌で、
その前を通るときは顔のわきに手を当てて、
自分の姿がいっさい視界に入らないようにするほど。
それについてISISでソーシングしたことがあったんですね。
すると幼い頃、母と買い物に行った時のことが思い出されて...
ふとショーウィンドーに映った自分を見て大ショックを受けた自分を感じたわけです。
幼い頃は、たいへん夢見がちなところがあって、
おとぎ話が好きで、絵本の挿絵にある妖精に憧れていました。
よく描かれていた妖精は髪の毛が長く巻き毛で、背中に羽があったりなんかして、
花びらみたいな素敵な服に身を包み西洋人ぽくて

でもショーウィンドーに映る自分はまったくそうじゃないんです。
髪の毛は真っ黒でおかっぱ、着ているのは真っ黒いワンピース、
西洋人には似ても似つかない顔、
ゲッ!! かわいくないっ

それからです、自分の姿が映る鏡や窓、カメラを拒否するようになったのは。
子どもの頃の写真はほんとうに嫌そうな顔をして写っている写真ばかりです。
学校でおこなわれるアルバム撮影なんて嫌で嫌でたまりませんでした。
休んで隅っこに顔だけ写るのはもっと嫌だったので、
休むことはありませんでしたが。
極度の人見知りで引っ込み思案でもあったので、
そういう私を見かねた母は、私をバレエ教室に通わせました。
バレエ教室って壁一面、鏡張りなんです。
私には荒行でしたがその甲斐あって、
鏡の前を通るときに顔を覆うことはしなくなりました。
それでも、なるだけ写らないように写らないようにしていました。
やがて成長し大人になっても、うわべでは平気なフリをするのですが
写真やビデオに写るのは内心とても抵抗がありました。
ISISでその出来事を見ていくことで
その時の自分の感情を掘り下げて


その背後には何があるのかということを突き詰めていくと、
「自分はフィオナ姫だと思っていたのに、シュレックだった」(笑)
という風に幼い私はそう感じてしまい、ショックを受けた..というわけです。
大人になった今は、そうショックを受けることでもないと理解できるのですが、
幼い子どもというのは論理的に物事を捉えることができないので、
たとえ些細なことであっても、心に大きな轍を残してしまうことがあります。
そのサムスカラの影響を受けて、きゃわいくない自分を観たくない!!
とリアクションしているだけなんだなと気づきました。
サムスカラを知れば、それで物事が解決するかというとそういうわけでもなく、
写真に写る状況になった時、サムスカラの影響ということはわかっていても
「写りたくないなぁ、もっと美人だったらいいのに」という気持ちに当然なります。
①その時に自分を閉じてしまい、写真に写らない方を選ぶか、
②写真に写った自分にまたがっかりするかもしれないけど、
自分自身に対しオープンでいることを選ぶか
今の私は②を選んで、写真やビデオに写ります。
enlightened vulnerability(エンライトゥンドゥ バーナビリティー)という言葉があります。直訳すると「悟りを開いた脆弱さ」、「目ざめた脆さ」とでも言うのでしょうか。
それは自分の脆い部分、かんたんに傷ついてしまう部分であっても
それと向き合い「自分を啓(ひら)いていく」ということ。
何度もそれを繰り返すことで、写真に写るのが平気になって
もしかすると好きになる日が来るかもしれません。
enlightened vulnerability
弱くて、モロくて、傷つきやすい中にも、とても気高いものを感じます。
今年も31日経過
2月1日・2日瞑想ワークショップin沖縄あります
竹内さんのスペースクリアリングへの申込はこちら
Posted by 富元 祥子 at 17:57│Comments(0)
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