2014年10月17日
クワイヤー

昨日・一昨日と私が”悲しみ”から”フォース(力)”に辿り着くまでの過程について書きましたが、これにはクワイヤーのサポートがあってこそでした。
今日はこのクワイヤーについてお話したいと思います。
英語ではchoirと表記します。
辞書を引くと:聖歌隊、合唱団、聖歌隊席、同属楽器のグループ
といったような意味となりますが、
私が瞑想を習っているクレアヴィジョン・スクールでは
スタディーグループのことをクワイヤーと読んでいます。
たいていは3~6名からならグループで、
それぞれの目的に応じてクワイヤーが編成されます。
もっとも一般的なクワイヤーは、週1ペースで一緒に
ISISやヴィジョンスペース、その他のプラクティスをおこないます。
クワイヤーメンバーが比較的近い場所に住んでいれば、
同じ場所に集まって行いますが、たいていの場合、
遠方に住んでいることが多いのでSkypeを利用します。
なので、クワイヤーによってはいろんな国から参加があることも珍しくありません。
さて、現在私は日本人だけからなる週1のクワイヤーと
アメリカ人からなら月1のクワイヤーに参加しています。
今回私がフォース(力)と繋がることができたのは週1のクワイヤーでのこと。
このクワイヤーメンバーはオーストラリアでも1年近くをともに過ごしてきた仲間でもあります。
それぞれが課題や困難に直面した時にはISISやビジョンスペースを通して、
”ヴィジョン”を共有します。ここでいう"vision/ヴィジョン”とは景色・景観という
意味ではなく、第3の目を通して得られた様々な”感覚”のことです。
今回のビジョンスペースで私は悲しみからどんどん遡っていき、
お腹の底から感じるフォース(力)まで到達できたのですが、
それは他のメンバーが”ヴィジョン”を通して、
私自らが”ヴィジョン”を得られるよう働きかけたからです。
ただ、自力ではなかなか難しいものがあります。

それは、あるパターンに陥ってしまい身動きができない状態と似ているからです。
たとえるなら、車の車輪がぬかるみにハマってしまい、
どんなにアクセルを踏んでも空回りする感じです。
しかし、そこにポンと板を渡すだけで車は自力でぬかるみから這い出すことができます。
ここでいう”板”の働きが”ヴィジョン”というわけです。
私たちが”ヴィジョン”をおくとき、相手にたいして同調はしますが同情はしません。
あるパターンに陥ってしまうということは、
自分の慣れ親しんだ場所から離れられないということでもあります。
人は自分には甘いものです。
そこでクワイヤーの助けが必要になるのです。
同情から"ヴィジョン"は生まれません。
場合によってはその人を慣れ親しんだぬかるみから引っ張りあげることが必要になります。おそらく心地の良いものではないかもしれません。それでも、自力で這い出すことができるよう”ヴィジョン”をおくことがクワイヤーの役目でもあります。
クワイヤーの”ヴィジョン”を明りに
私自ら新たな"ヴィジョン"を得ることができました。
瞑想教室

今年も290日経過
Posted by 富元 祥子 at 23:46│Comments(0)
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