2014年01月30日
なぜ、瞑想なんでしょう?
瞑想をする目的は私達の心を穏かに、そして安らげるためにおこないます。
そうすることで憂いごとやメンタルな不快感に捕らわれることなく、
“真の幸福”というものを学びます。
しかし私達の思考・感情は穏かでないことが多く、
たとえとても恵まれた環境に暮らしていても、
“幸せでいる”ことに気づくことは容易ではありません。
瞑想を練習することで、私たちの思考・感情はだんだんと静かになっていき、
ますます澄みきった“幸福”を感じるようになります。
そのうち、どんなに困難な状況下でも“幸福”の中に留まることができます。
「そんなこと、あるわけないよ!!」と思いますよね。 同感です。
私はどんな困難な状況下でも“幸福”を感じられる自分でいる自信はまるっきり
ありません。
私たちが普段考えたり、感じる「幸福」や「幸せ」というものは、
それを取り囲むものによって一変するものではないでしょうか?
「平凡だけれども幸せな毎日を送っている」
たいていの人はそう感じて日々暮らしていると思います。
その幸せな暮らしに不穏な影が忍び寄ってきたらどうでしょう?
自分や家族の病気、パートナーの心変わり、経済的な心配、仕事の失敗、
人間関係のもつれ、子どもに関する心配事などいろいろと考えられますが
その「幸せ」が欠けてしまったり、崩れてしまうと人は“幸福”ではいられなくなるのでしょうか。
自分の外側にある「幸せ」や「幸福」とは別の、もう一つの“幸福”があって
それが“真の幸福”ではないかと思います。
自分の思考・感情をコントロールすることは容易ではありません。
まるでそれは空に放たれた風船のように、
周囲の環境によってあちこちに吹き飛ばされます。
物事が順調にいってる場合はhappyで、うまくいかないと途端に不満を覚えます。
例えば、欲しいと思っていた物やパートナーを手に入れると、心踊り、
それに執着するようになります。しかし、すべてが思い通りにいくとは限りませんし、
友達でも物でもなんでも、いずれは離れてしまうことになります。
この執着心や愛着は私たちに苦痛を引き起こします。
周囲の状況にどっぷり巻き込まれてしまうと気持ちにブレが生じます。
私たちは外からの要因に感動したり、落ち込んだり、悲しくなったりしますが、
まるで砂のお城を作って喜んでいた子どもが、波にお城を壊され取り乱すのと
同じです。
瞑想を練習することで、周囲の環境に左右されることなく、
思考・感情をコントロールできる内なる空間を創りあげていきます。
子どものように育っていない心を育んでいくのが瞑想です。
それが“真の幸福”だったり“本当の自分”ということにつながるのではないかと思っています。
もちろん、私たちは1日中瞑想をやっているわけにはいきません。
むしろ瞑想以外の日常生活こそが、心を育む実践の場といってもよいでしょう。
しかし、私たちの思考・感情というのはとてもパワフルなので、
よっぽど気を付けていないと、すぐに飲み込まれてしまいます。
瞑想はその思考・感情から距離をとった“自分でいられる”時間を過ごす練習です。
練習と実践を繰り返し“真の幸福”や“本当の自分”をより感じられる自分でありたい。
すなわち“生きる”とはそういうことではないのかと思います。
今週末の「瞑想ワークショップ」への参加を迷っている方がいましたら、
“自分でいられる”練習を一緒にはじめてみませんか。
今年も30日経過
2月1日・2日瞑想ワークショップin沖縄あります
竹内さんのスペースクリアリングへの申込はこちら
そうすることで憂いごとやメンタルな不快感に捕らわれることなく、
“真の幸福”というものを学びます。
しかし私達の思考・感情は穏かでないことが多く、
たとえとても恵まれた環境に暮らしていても、
“幸せでいる”ことに気づくことは容易ではありません。
瞑想を練習することで、私たちの思考・感情はだんだんと静かになっていき、
ますます澄みきった“幸福”を感じるようになります。
そのうち、どんなに困難な状況下でも“幸福”の中に留まることができます。
「そんなこと、あるわけないよ!!」と思いますよね。 同感です。
私はどんな困難な状況下でも“幸福”を感じられる自分でいる自信はまるっきり
ありません。
私たちが普段考えたり、感じる「幸福」や「幸せ」というものは、
それを取り囲むものによって一変するものではないでしょうか?
「平凡だけれども幸せな毎日を送っている」
たいていの人はそう感じて日々暮らしていると思います。
その幸せな暮らしに不穏な影が忍び寄ってきたらどうでしょう?
自分や家族の病気、パートナーの心変わり、経済的な心配、仕事の失敗、
人間関係のもつれ、子どもに関する心配事などいろいろと考えられますが
その「幸せ」が欠けてしまったり、崩れてしまうと人は“幸福”ではいられなくなるのでしょうか。
自分の外側にある「幸せ」や「幸福」とは別の、もう一つの“幸福”があって
それが“真の幸福”ではないかと思います。
自分の思考・感情をコントロールすることは容易ではありません。
まるでそれは空に放たれた風船のように、
周囲の環境によってあちこちに吹き飛ばされます。
物事が順調にいってる場合はhappyで、うまくいかないと途端に不満を覚えます。
例えば、欲しいと思っていた物やパートナーを手に入れると、心踊り、
それに執着するようになります。しかし、すべてが思い通りにいくとは限りませんし、
友達でも物でもなんでも、いずれは離れてしまうことになります。
この執着心や愛着は私たちに苦痛を引き起こします。
周囲の状況にどっぷり巻き込まれてしまうと気持ちにブレが生じます。
私たちは外からの要因に感動したり、落ち込んだり、悲しくなったりしますが、
まるで砂のお城を作って喜んでいた子どもが、波にお城を壊され取り乱すのと
同じです。
瞑想を練習することで、周囲の環境に左右されることなく、
思考・感情をコントロールできる内なる空間を創りあげていきます。
子どものように育っていない心を育んでいくのが瞑想です。
それが“真の幸福”だったり“本当の自分”ということにつながるのではないかと思っています。
もちろん、私たちは1日中瞑想をやっているわけにはいきません。
むしろ瞑想以外の日常生活こそが、心を育む実践の場といってもよいでしょう。
しかし、私たちの思考・感情というのはとてもパワフルなので、
よっぽど気を付けていないと、すぐに飲み込まれてしまいます。
瞑想はその思考・感情から距離をとった“自分でいられる”時間を過ごす練習です。
練習と実践を繰り返し“真の幸福”や“本当の自分”をより感じられる自分でありたい。
すなわち“生きる”とはそういうことではないのかと思います。
今週末の「瞑想ワークショップ」への参加を迷っている方がいましたら、
“自分でいられる”練習を一緒にはじめてみませんか。
今年も30日経過
2月1日・2日瞑想ワークショップin沖縄あります
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Posted by 富元 祥子 at 18:21│Comments(0)
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